後期クイーン問題

推理小説で、「ある手がかりがあったとして、それが犯人がうっかり残したものか、名探偵を惑わそうとして故意に残したものか、探偵側には区別できない」と、いうのを表題のように呼ぶそうです。間違ってたらごめんなさい。
で、
クロスワードや覆面算などの文字を使ったパズルは、見出そうと思えば意味を見出せるわけです。
たとえば某パズルジャパンの楽屋で自分が発表した覆面算で、こういうのがあります。

やるじやんか+ぱずるじやぱん=いきるかいかん

普段生きていて「ああ、パズルを解いている時は生きる快感を覚えるなあ」とは思いません。が、こう文字にしてしまうと「まあ生きる快感って言い切っちゃってもいいか。言葉にしていなかっただけでそう思っていた部分もあるし」という気になります。
この場合、パズルという道具を使うことによって、普段気づかない自分を知ることができます。
ただ、これはいつも成立するわけではありません。
ニコリに載った覆面算なので全文を引用するわけにはいきませんが、以前自分が作った覆面算で、「ドラマとかは、なんだか知らないが恋愛ばっかあつかってやがるな」みたいなのがありました。そんなことを誰かに言われたら「そんなことはないと思いますけど」と答えます。字面が面白かったのでそのまま送りましたけど。

特に結論はないのですが、そのあたりうじゃうじゃ悩みながら作っていますのです。